初心者のための横溝正史・金田一耕助ガイド
最終更新 2009/11/04

 横溝正史って誰? 金田一耕助……うーん、TVとかマンガで見たことあるけど……という、そんな方のための、簡単なガイドです。
 詳しい情報は、リンク集のページから、いろんな詳しい方の解説を読んで下さいね。
 ここに載せて欲しい質問があったら、"メールして下さい。
 ※なお、ここでは初心者向けに、諸説ある解釈も制作者の考えで単純化して書いています。明らかなまちがいがあったら、ご指摘下さい。

 金田一耕助ってどんな探偵ですか?
 金田一少年は、本当に金田一耕助の孫なの?
 横溝正史って、どんな作家ですか?
 横溝正史の本って、今でも読めるの?
 お勧めの作品はありますか?
 横溝ブームって、映画の「犬神家の一族」のせいですよね?
 横溝正史って、なんかホラーっぽくて怖いんですけど。
 金田一耕助のガイドブックってありますか?
 横溝正史の誕生日って、5月25日ってきいたんですけど?
 上川隆也と稲垣吾郎、20代目の金田一耕助はどっち?
 旧「横溝正史読本」の文庫って、どれくらい価値があるの? すごく高いんですけど。

●金田一耕助って、どんな探偵ですか?

 金田一耕助は、昭和21年(1946)、作家・横溝正史が「本陣殺人事件」で初めて登場させた、日本を代表する名探偵です。
 江戸川乱歩が書いた明智小五郎(「名探偵コナン」の人名は、ここから取られています)と並ぶ、日本の二大探偵、と言ってもいいでしょう。
 金田一耕助の生年月日は明らかではありませんが(大正2年(1913)生まれともいわれています)、デビュー作「本陣殺人事件」では、昭和12年(1936年)の岡山に、二十代の青年として、ふらっ、と現われます。
(その前にも、事件は解決しています。小説になったものでは「幽霊座」。その他、書かれていない二、三の事件があったようです)
 その後、活躍を続け、何十という事件を解決します。小説になったものだけで、その事件は77あります。
 ですが、昭和48年(1973)に起きた、「病院坂の首縊り(くびくくり)の家」事件(このとき年齢は六十ぐらい)のあと、全財産を整理し、アメリカに旅立って、消息不明になってしまいます。
 つまり、金田一耕助は、36年間にわたって、歳を取りながら(歳を取らない探偵もいますね)、事件を解決し、消えたのです。
 金田一耕助が、消息を絶った原因は、はっきりしていませんが、作者でもあり、金田一耕助の友人でもある横溝正史は、こう言っています。
「金田一耕助という男がなにか難しい事件を解決すると、そのあと救いようのない孤独感に襲われるということは、私がいままでたびたび力説してきたところである。かれは事件解決に成功したとき決して得意ではいられない。得意どころかむしろその反対に、激しい自己嫌悪に陥るということは、この物語の中でも指摘しておいたはずである。」
 (角川文庫「病院坂の首縊りの家」より)
 金田一耕助は、テレビやマンガで見るように、ひょうきんでユーモラスなところのある探偵ですが、決して正義や真実を振りかざして人を裁くのではなく、事件の関係者に深い同情を感じて、そのために自己嫌悪にさえなってしまうような、人間くさい探偵なのです。
 それが、金田一耕助の大きな魅力です。

●金田一少年は、本当に金田一耕助の孫なの?

 「金田一少年の事件簿」で活躍する金田一・一(はじめ)は、「じっちゃんの名にかけて」の名セリフで有名なように、金田一耕助の孫だと言っています。
 しかし、結論から言うと、金田一耕助が結婚したという記録は、どこにもありません。少なくとも、横溝正史が書いた原作には、ないのです。
 金田一耕助は、36年間の探偵生活の中で、2回、明らかに恋をしたことがあります。しかし、どちらも実らずに終わっています。
 これは私の考えですが、原作やマンガ、TV、映画などで金田一耕助に触れていくと、金田一耕助には、結婚や家族は似合わない、と感じる方が多いのではないか、と思います。
 金田一耕助に孫がいた、結婚していた、というのは、すべて、「金田一少年の事件簿」の作者の、創作です。原作とは、まったく関係ありません。
 ただし、金田一耕助ファンの中には、「金田一少年の事件簿」を、まったく認めない人もいますが、それを認めて、では金田一耕助はいつ、誰と結婚したのだろう、などと想像や推理をする人もいます。
 それはそれで、遊びとして、楽しいことだと思います。私も、その遊びをじゃまするつもりは、ありません。
 でも、「本当に孫なのか」ときかれたら、「原作では金田一耕助は結婚していないよ」、と私は答えます。

●横溝正史って、どんな作家ですか?

 横溝正史は、日本を代表するミステリ作家です。
 明治35年(1902)5月24日、神戸生まれ。19歳のとき、「恐ろしき四月馬鹿(エイプリル・フール)」で雑誌デビューした、若き天才でした。
 その後、ミステリを書きながら、「新青年」などの雑誌編集者としても活躍しますが、昭和7年(1932)、30歳のときに、専業作家になります。
 第二次世界大戦の前から、戦争中にかけては、主に耽美で幻想的なミステリや、「人形佐七」のような捕物帳などを書きました。
 しかし、戦争のために、疎開(空襲を避けて田舎へ引っ込む)した先の岡山で、「本陣殺人事件」を書き上げます。これは、今まで日本には少なかった、「本格ミステリ」(謎とトリック中心のミステリを、こう呼びます)長篇の始まりとも言われ、第一回の日本探偵作家探偵クラブ賞(今の、日本推理作家協会賞)長篇賞を受賞します。それまでの長篇ミステリは、ホラーに近い奇怪な、あるいは耽美な小説が多く、トリック中心の本格は、かなり少なかったのです(短篇では、江戸川乱歩を始め、かなりありましたが)。
 その後、「獄門島」や「犬神家の一族」、「悪魔の手毬唄」「八つ墓村」など、大きなトリックのある、本格ミステリを書き続けますが、60歳の頃、世の中のミステリが「社会派」と呼ばれる、現代社会の悪を描く、あまりトリックを重視しないものが中心になったことで、時代遅れになったと感じ、一時、書くのをやめます。
 ちなみに、この「社会派」全盛の頃は、名探偵という存在そのものも、時代遅れの古くさいものと考えられていたようです。
 しかし、昭和49年(1974)、72歳のときに、12年前に連載が中断していた「仮面舞踏会」を、書き下ろしで完成させて、再び執筆活動に戻ります(すごいパワー!)。
 その頃から、角川文庫が出し続けていた、過去の作品もヒットし始めて、一大ブームが巻き起こります。今の横溝正史ファンは、この頃に角川文庫を読んだり、76年の映画「犬神家の一族」(石坂浩二が金田一耕助を演じました)によって、はまった人が多いのです。私もその一人です。
 その後も横溝正史は長篇の本格ミステリを書き続けます。1977年には、金田一耕助最後の事件である「病院坂の首縊りの家」を、そして1980年には、なんと78歳の年齢で、「病院坂」の前に起こっていた事件を扱った長篇「悪霊島」を書き上げました。いずれも連載(雑誌「野生時代」)で書いた作品です。
 これだけの長い間、しかも力作の長篇を発表したミステリ作家は、他にいないと言っても、言い過ぎではないでしょう。
 横溝正史が亡くなったのは、1981年12月28日。遺作は、80年の短篇「上海氏の蒐集品」でした。
 横溝正史の作品を、いちばん多く出しているのは角川文庫ですが、その総数は、5500万部を突破しています。
 質・量ともに、日本を代表するミステリ作家、それが横溝正史です。

●横溝正史の本って、今でも読めるの?

 新本では読めません。
 角川文庫からは、過去に、エッセイなども含めて、90冊の横溝作品が出ました。その中には、金田一耕助だけではなく、横溝正史が作ったもう一人の名探偵・由利麟太郎の物語や、どちらも登場しないものなども含まれています。
 現在では、それらは絶版になっています。
 その後、装丁などを変えて、金田一耕助の登場作品を中心に、28冊の本が、角川文庫から出直し、2002年4月からは、生誕100年を記念して、新しく装丁を変えて、再発売が始まりました。
 その後発見された原稿や、横溝正史本人が書き直したものなどが、出版芸術社、論創社などから出ています。
 しかし、横溝正史の(書誌的な意味ではなく一般的な意味での)全作品は、現在、読めない状態になっているようです。
 ただ、
角川文庫の古本は、かなり値段が落ちついてきましたので、
古本で探せば、読めます。
 また、春陽文庫(現在、新本は少ないようです)からも、角川文庫と重複する著作は出ていますので、そちらを探して読むこともできます。両者は、多少用語・用字などが違いますが、私は未研究です。

●お薦めの作品はありますか?

 うーん、これは好みによりますからねえ。
 横溝正史自身もベスト5に挙げていて、一般に評価の高い作品は、「本陣殺人事件」「獄門島」「犬神家の一族」「八つ墓村」「悪魔の手毬唄」などです。(「真説 金田一耕助」による)
 まず、この辺を読んでみてはいかがでしょう。
 その後としては、「悪魔が来りて笛を吹く」、「仮面舞踏会」、「女王蜂」、「夜歩く」なども面白いですよ。

●横溝ブームって、映画の「犬神家の一族」のせいですよね?

 結論から先に言うと、まったく違います。
 ゆっくり、よく読んで下さいね。
 まず、横溝正史のブームは、大きく言って、三回来ています。
 最初は戦前の、作家専業になった頃。正確に言うと、1932年に専業になった後、結核で療養するのですが、35年の「鬼火」で復帰、「真珠郎」「人形佐七捕物帳」、「髑髏検校」と、今で言えば時代劇と耽美なホラーっぽい作品がヒットします。これが第一のブーム。
 それが、戦争でミステリが禁止されたりして、執筆に空白がある間に海外ミステリ、特にディクスン・カーやアガサ・クリスティーの作品を読んで、これは自分でも書ける、と思って戦後すぐの46年に発表したのが「本陣殺人事件」。これが本格ブームを巻き起こし、48年には上に書いたように第一回探偵作家クラブ賞・長篇賞を受賞します。
(もっとも、カーは戦前から読んでいたようです)
 その後は毎年のように、47年「獄門島」49年「八つ墓村」50年「犬神家の一族」……といった具合で、連載−単行本ー全集、といったヒット作家生活が、60年の「白と黒」までは、少なくとも続きます。これが第二のブーム。
 その後、筆を折ったのは、やはり上に書いた通りです。
 さて、ここからが、誤解されやすいところです。

 「真説 金田一耕助」(毎日新聞社、角川文庫)で、横溝正史自身が、こう書いています。
「ところが昭和四十五年(早見注:70年)、私の作品のうちこれはと思うものを集めて、某出版社が全集と銘打って出版した(早見注:講談社の「横溝正史全集」全10巻)。それが思いのほか好評を博し、そのことが呼び水になったかして、私の作品が順次別の出版社から文庫本として出はじめた(早見注:角川と春陽と、他はあるかな?)。それが圧倒的な売れ行きを示し、数年間に五百万部突破、一千万部突破というように、小心者の私にとっては気の遠くなるような数字を示した。
 私の文庫本の売れ行きには人為的な操作はなにもなかった。さる高名な批評家が、急に私のものを賞めはじめたとか、大衆に影響力のある誰かが、自分は金田一耕助のファンであると発言したとか、そういう事実は全然なかった。出版社も、はじめのうちは通りいっぺんの宣伝しかしなかった。まったく読者サイドから自然発生的に売れはじめ、それが出版社を動かし、大宣伝を開始させ、去年からことし(早見注:76年)へつづくブームとやらを現出したのである。(後略)」

 ちなみに、横溝正史研究の権威と私が思っているJiichiさんの横溝正史クロニクルの、「横溝正史年譜」を見てみましょう。そこには、講談社が(早見注:おそらく上の全集の成功によって)、74年に「新版横溝正史全集」を出したこと、その第1回配本が、書き下ろし長篇の「仮面舞踏会」でそれが評価されたこと、その年、角川文庫だけで、300万部に達したことなどが書かれています。
 ここまででも、70年から74年にかけて、すでに横溝ブームが来ていたことが分かるでしょう。
 で、映画の「犬神家の一族」は、76年の映画なんです。
 ここでもう一度、74年に戻ります。
 全集、文庫本が売れ初めてから、62年に書きかけで中絶していた「仮面舞踏会」を74年に書き上げて講談社の全集の一巻として出し、それが評価された横溝正史は、75年には中編だった「迷路荘の惨劇」を長篇化して東京文芸社から出し、また話題になります。これは、きくところによると、それぞれの出版社との付き合いを大事にしたためのようです。「仮面舞踏会」は前に講談社から予告を出したのにその時出せなかったから、「迷路荘の惨劇」は東京文芸社が筆を折っている時代にも本を出してくれたから、だそうです。
 つまり、この時点でまだ、角川の大宣伝は始まっていません。
 (ただし、「真説 金田一耕助」では、71年の春に、角川文庫の1冊目「八つ墓村」が出たら、意外に10万部も売れて、とありますが、特に大きな宣伝はしていないようです)
 角川文庫が、映画と多少なりとも関わったのは、75年9月27日公開のATG映画「本陣殺人事件」(金田一耕助は中尾彬)のときです。
 ATGは、低予算の代わりに、一般興行に乗らない企画を映画化する、芸術映画の会社です。主に監督の企画が多く、市川崑が時代劇を自ら諷刺した「股旅」、東宝の社員監督だった岡本喜八がどうしても撮りたくて低予算で撮った反戦映画「吶喊」などがありますが、「本陣」についても、自主映画の三羽烏と言われた高林陽一監督が、「たかばやしプロ」を作り、記憶では制作費も出しています。つまり、ブームに乗ったような作られ方でも、当たると見こまれた映画でもなかったのです。
 ただ、これも記憶ですが、このとき、書店の店頭には、映画「本陣殺人事件」のポスターが貼られていました。雑談のコーナーで、「文庫とのタイアップ」と書きましたが、今書いてみて、自信がなくなりました。角川文庫の宣伝の入った映画のポスターが、見当たらないのです。あるいは、郷里の映画館が貼らせてくれ、と言ったものかもしれません。これも識者のご指摘を待ちたいと思います。
 さて、低予算で作られ、おそらくは封切館も少なかっただろう(こういうのはATGの研究書を読めば明らかになりますが)「本陣」、これが大ヒットします。研究書を入手したら金額が分かりますが、「真説 金田一耕助」では、「(映画館の)ドアがしまらないほど」のヒットだったそうです。
 その後に、76年10月公開の「犬神家の一族」が、角川映画の第一作として制作され、13億の興行収入を上げ、その年の興行成績が洋画まで含めても第4位、邦画で2位(1位は「続・人間革命」)となります。ここから、角川文庫と映画のタイアップ、俗に言う「角川商法」が始まるのですが、実はどうも、この映画の成立は「本陣」の成功を踏まえている節があります。
 というのは、角川映画の第一作は、赤江瀑の「オイディプスの刃」と決まっており、フランスロケまでされていました(当時の「キネマ旬報」による)。しかし、何かの理由で中断し、代わりに第一作になったのが、「犬神家の一族」だったのです。
 ここにもう一つ、手元の資料があります。当初角川春樹社長は、松竹の「八つ墓村」に、文庫の連動をさせる予定だったそうです。しかし「八つ墓村」は、脚本の遅れで、制作が遅れました。角川社長は、文庫を早く売りたいから急いでくれ、と申し入れたら、松竹の幹部が(当時は大会社でしたから)「一出版社の都合に合わせられるか」とつっぱねた、と言うのです。そこで業を煮やして、自分で角川春樹事務所を興して作ったのが「犬神家の一族」だったのです。(小林信彦「おかしな男 渥美清」による)
 これは、文庫のフェアに合わせて公開されたわけですが、またも、Jiichiさんの年譜を見ると、75年秋にはすでに、角川文庫の横溝作品は500万部、76年夏には1000万部を超えていたのです。
 これには、映画「本陣」の成功の他に、角川書店の雑誌「野生時代」が売れていて、そこに、75年の12月から横溝正史の新作長篇「病院坂の首縊りの家」が連載されていた効果もあるでしょう。
 とにかく、
 文庫売り上げが1000万部を突破した後で、「犬神家の一族」が公開されている。
 この前後関係は、まちがえてはいけません。

 たしかに、映画「犬神家の一族」がきっかけで、横溝ファンになった人も多くいます。また、この成功でその翌年77年には、今度は東宝の制作で市川崑=石坂浩二の映画シリーズ、やっと間に合った「八つ墓村」、TVで古谷一行の「横溝正史シリーズ」が放映、と横溝ラッシュになっていきます。
 しかし、ワタクシゴトですが、「犬神家の一族」を観たとき、私はすでに、原作を角川文庫で読んでいました。この頃、横溝正史は本当に周りの多くの人が読んでいましたし、その勢いか、ちょうど講談社文庫で読めた「ドグラ・マグラ」や「黒死館殺人事件」、「虚無への供物」が、郷里の書店が開いたミステリお客さん投票で上位を占めたりもしました。本格の一位が「虚無への供物」、変格の一位が「ドグラ・マグラ」だったと思います。
 そもそも書店がミステリ投票企画、しかも本格・変格などと言ってやるぐらい、本格ミステリのブームが来ていたのですが、それに火をつけたのは横溝正史、そしてその横溝正史のブームは、上のように、映画「犬神家の一族」の、数年前から来ていたのです。
 ちなみに、あくまで私見ですが、この本格ミステリブームに火がついたのは、江戸川乱歩賞を本格ミステリ「高層の死角」で取ってデビューした、新人・森村誠一の力もあると思います。これは乱歩賞にとっても大きな推進力となった(前年は受賞作がなかった)作品なのですが、これが、69年なんですね。
 69年から70年ぐらいに、本格ミステリの再評価が始まり、ブームとなって、横溝正史作品が売れ、そこへ映画「本陣殺人事件」が成功し、それらを踏まえて、映画「犬神家の一族」が出て、ブームは極大に達した。資料から見ると、こういう流れが見えます。
 横溝正史が言ったように、横溝正史ブームを作ったのは、ミステリの読者であり、角川書店でも、その映画でもなかったんです。
 またも「真説 金田一耕助」によれば、75年に「病院坂の首縊りの家」が連載開始になったのは、
「ちょうどそのころ角川文庫に収録された私のものが二十五点で五百万を突破したについて、横溝正史フェアをやろうということになった。それに歩調をあわせて同書店発行の「野生時代」に私の短篇をという希望なのだが、(後略)」
 といういきさつでした。短篇の予定が、大長篇になってしまったのですが、横溝正史フェアは、映画と関係なく、企画されていたのですね。
 こういう事実関係なんです。資料によれば。
 追記:その後、映画「本陣」と、角川文庫のタイアップ・ポスターはあった、という情報をいただきました。おそらくは、上の500万部突破の頃のものかとも思われます。しかしそうすると、なおさら、映画「犬神家」でブームが始まった、ということにはならなくなります。

これが、そのポスターです(さる方から送っていただきました)が、私が若い頃、書店で見たのはこれと違って、やはり映画のポスターだったようです。
 いわゆる「角川商法」のタイアップとも、このポスターのニュアンスは、ちょっと違うようですね。

 更に追記:芦辺拓さんが貴重なご意見を下さいました。わたくしのほうで選んで追記すると、そもそも69年には、江戸川乱歩全集が刊行され、好評を得た、横溝正史全集は、その姉妹編的な存在だった、というお話でした。(詳しくは雑談のページに載せました)
 横溝を語るとき、乱歩の存在は欠かせないものがあるので、得がたいご指摘であると思い、書いておきます。あまり乱歩のことを書くのはこのサイトの趣旨にそぐいませんが、乱歩が日本のミステリに果たした役割の大きさも、もう、分からなくなっているかもしれませんね。雑感ですみません。

●横溝正史って、なんかホラーっぽくて怖いんですけど。

 たしかにそう見られている面もあります。人によっては、「八つ墓村」「悪魔の手毬唄」などは、怖い部分があるかもしれませんね。
 しかし、これらの作品も、よく読むと、とても合理的な解決をしています。
 むしろ、例えば「八つ墓村」などは、昔の映画がオカルト仕立てだったので、そういうイメージが先行しているのではないのでしょうか。
 横溝正史はサービス精神旺盛な人ですし、戦前は怪奇幻想的な作品も書いていたので、おどろおどろしい要素も入れて、興味をそそるようにはしていたようです。
 しかし、上に書いたように、日本の「本格ミステリ」を興した人ですから、その作品は、合理性を重視しています。
 また、昔のモダンな雑誌「新青年」の編集長をつとめたり、いち早く「刑事コロンボ」のファンになったりと、根の明るい、モダンな人なのです。  どうか、先入観や小道具にとらわれずに、作品にまず、触れてみて下さい。それでも怖かったらしかたありませんが、よく読むと、その話が意外に明るいものだと分かる、と私は思っています。
 横溝正史の作品には、合理性と、希望があるんです。それは現代にも通じる、と信じたいですね。

●金田一耕助のガイドブックってありますか?

 「名探偵・金田一耕助99の謎」(二見文庫)という、よくまとまった本がありますが、今は品切れです。古本屋で見つけたら、買っておくと便利です。ただし、何ヶ所かまちがいがあります。その正誤表は、金田一耕助博物館に出ています。
 映像化された金田一耕助については、「18人の金田一耕助」(光栄)という本が出ています。これはまだ手に入りますが、お早めがいいでしょう。昔の片岡千恵蔵の金田一から、石坂浩二、最近の片岡鶴太郎まで、金田一耕助を映像で演じた18人を網羅した、よい本です。
 また、一部トリックを明かしていますが、都筑道夫「黄色い部屋はいかに改装されたか」(晶文社)は、雑談のページで芦辺拓さんの論考が述べている通り、70年代の異色作家と本格ミステリ再発見の流れの中での、横溝正史の存在意義とその本格性にページを割いた本で、横溝ファンでなくても、ミステリに興味のある方なら一度は読んでおくべき本と、言えるでしょう。
 そして2004年、メディアファクトリーから「金田一耕助the Complete」というガイドブックが出ました。市井の横溝ファンを中心に、評論家の方なども集まって、金田一耕助を中心に、作品、映像、漫画など、また横溝正史についての解説を載せた、現在手に入る最良のガイドブックです。ページ数の関係で、深くつっこめなかった所もありますが、これを読んでいれば、かなりの知識を得ることができるでしょう。
 なお、初版にはミスが何カ所かあったので、第2版で直しています。ご購入の際は、版にご注意下さい。

●横溝正史の誕生日って、5月25日ってきいたんですけど?

 あっ、かなり詳しい方ですね。
 たしかに長いこと、横溝正史の誕生日は5月25日とされており、今でもそうなっている資料もあります。
 金田一耕助博物館の木魚庵さんによると、横溝正史自身がそう信じていた節があり、昭和30年代までの略歴では、必ずそうなっていたそうです。
 しかし、77年に出たエッセイ集「真説 金田一耕助」(毎日新聞の連載をまとめたもの)の中に、次のように書いてあります。

 「しかし、戸籍を見ると私はたしかに五月二十四日生まれなので、」(「本名と筆名」より)

 どうやら、昭和30年代から、エッセイが連載された76年、即ち昭和51年までの間に、横溝正史は戸籍を調べ直したようです。
 そこで、この一文を根拠に、横溝正史の誕生日は5月24日と断定していい、と思います。

●上川隆也と稲垣吾郎、20代目の金田一耕助はどっち?

 テレビ東京の「女と愛とミステリー」で、上川隆也が金田一耕助を演じたとき、局は、20代目の金田一耕助と宣伝を打ちました。一方、2004年春のフジテレビ「犬神家の一族」で稲垣吾郎が金田一を演じるに当たって、こちらも20代目と銘打っています。
 さて、本当はどちらが20代目なのでしょう。
 結論から言うと、どちらも違うのです。
 テレビ東京は、生誕100年に「生誕100年記念 迷路荘の惨劇」を制作するに当たり、20代目という数字にこだわりました。それまでに映像で金田一耕助を演じた役者は18人とされていたのですが(これが誤りであることは、後で述べます)、テレビ東京は、ある種、数字の操作をしました。即ち、映画「金田一耕助の冒険」に「初代金田一耕助」役でカメオ出演した三船敏郎を、ゲスト出演と言うことで飛ばし、代わりに、舞台で金田一耕助を演じた2人を足したわけです。これで、金田一役者は19人。これで、上川隆也は”20代目”と数えられたわけです。
 しかし、これはもちろん、変則的な数え方です。また、映画内映画に特別出演した三船敏郎も、立派な金田一役者といっていいでしょう。
 一方、稲垣吾郎のほうは、おそらく山田誠二さんによる「18人の金田一耕助」で紹介された18人に、上川隆也を足し、それで稲垣吾郎は20人目としたようです。私も長く、それを信じてきました。
 しかし、昨年「金田一耕助 the Complete」で発表された映画・ドラマ全作品リスト(作者不詳)で数えてみると、これまで明らかになっていなかった金田一耕助がリストアップされていました。テレビドラマで、現在見られないもののおふたりです。
 これを計算に入れて、更に、このリストに載っていない三船敏郎を入れると、映像で金田一耕助を演じた役者は、22人となります。
 なお、これは映像における金田一で、舞台・ラジオドラマを含めると、その数は分からない、という他はありません。
 参考までに、これまで映像で金田一耕助を演じた役者をご紹介しましょう。(年代順)
 1:片岡千恵蔵 1947「三本指の男」ほか
 2:岡譲二 1952「女王蜂」、1957「月曜日の秘密」(TV)
 3:河津清三郎 1954「幽霊男」
 4:池部良 1956「吸血蛾」
 5:高倉健 1961「悪魔の手毬唄」
 6:船山裕二 1962「白と黒」(TV)
 7:金内吉男 1964「八つ墓村」(TV)
 8:中尾彬 1975「本陣殺人事件」
 9:石坂浩二 1976「犬神家の一族」ほか
 10:古谷一行 1977「横溝正史シリーズ」(TV)1979「金田一耕助の冒険」ほか
 11:愛川欽也 1977「吸血蛾」(TV)
 12:渥美清 1977「八つ墓村」
 13:西田敏行 1979「悪魔が来りて笛を吹く」
 14:三船敏郎 1979「金田一耕助の冒険」
 15:鹿賀丈史 1981「悪霊島」
 16:小野寺昭 1983「真珠郎」(TV)ほか
 17:中井貴一 1990「犬神家の一族」(TV)
 18:片岡鶴太郎 1990「獄門島」(TV)ほか
 19:役所広司 1990「女王蜂」(TV)
 20:豊川悦司 1996「八つ墓村」
 21:上川隆也 2002「迷路荘の惨劇」(TV)ほか
 22:稲垣吾郎 2004「犬神家の一族」(TV)予定
    ※参考 「金田一耕助 the Complete」(メディアファクトリー)

●旧「横溝正史読本」の文庫って、どれくらい価値があるの? すごく高いんですけど。

 えー、これも、最後まで読んで下さいね。
 まず、この原稿は、新「読本」の文庫が見つからなくなったので、暫定的な原稿です。今、再度注文中ですので、届きしだい確定します。
 横溝正史の、ちょっとディープなファンだったら、どうしても欲しい、でも高い……と思うのが、「横溝正史読本」でしたが、昨年、改版で文庫本が出ていまして、これを読んでいれば、充分です。何千円とか何万円とか出して旧版を買う価値は、全くありません
 では、多少のご説明を。
 この本は「犬神家の一族」と前後して、1976年にまず単行本で発行され、後に、旧・角川文庫の一冊として文庫化されました。文庫には背が黒いものと赤いものがあり(赤い物が1979年、黒い物が90年だと思いますが、確認していません)、赤い背の俗に「赤背」などと言われる本が、ものすごい人気になっています。もう何年か前に、その「赤背」が、Yahoo!オークションで、数万円(!)で落札されたことがあります。あまりに高かったので、値段を忘れてしまったほどなのですが、そのいきさつと、なぜそんなに高くなったのかは、古書蒐集家のkashiba@猟奇の鉄人さんの「あなたは古本がやめられる」(本の雑誌社)に詳しいので、そちらをご参照下さい。
 (今、蔵書の整理ができていなくて、その本が見つかりません。ご容赦を)
 2009年11月04日現在、「横溝正史読本」の文庫本はアマゾンの中古市場で、8000円(!)から22000円(!!!)という高さです。
 では、そんなに高くないといけないような本なんでしょうか。
 この本は、かつてミステリ雑誌「ヒッチコック・マガジン」の編集長でもあった小林信彦・編によるもので、単行本では、「横溝正史の秘密」(横溝正史・小林信彦の四部にわたる長い対談。これで、横溝正史とその時代の状況が非常によく分かる)、資料1・探偵茶話(エッセイ)、資料2・作品評(江戸川乱歩、坂口安吾、高木彬光による、横溝作品の評)、「日記(昭和四十年)」(その通りのもの)、それへの横溝正史の注記、島崎博氏による横溝正史の年譜が収められています。
 で、旧文庫版は、それから何かの事情で、昭和四十年の日記を外したものなんです。これだけでも、高くなる理由はありません。
 新文庫版は、旧文庫の年表を現在まで補完したもの、だと思います。どういうわけか、今、本が出てこないので、対比できないんですが(また買い直しておきます)また、箇所によって、改竄(いわゆる禁止用語を言い換えた)されてはいますが、それが嫌なら、やはり単行本版を買うべきですね。
 ということで、私の見解としては、「早めに今の版を買っておきましょう」、となります。
 なお、アマゾンではない古本サーチ(スーパー源氏など)に当たっていくと、そもそもの旧文庫版が値崩れを起こしているようです(理由を考えれば当たり前ですが)。どうしても赤背にこだわる人は、市場価格をよく調べてみたほうが、いいと思います。
 もうすぐ、新文庫版が届きますので、ざっと変更を調べてみます。



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