横溝作品にまつわる雑談
最終更新 2002/11/12

 横溝正史との出会い

 女子高生のメールから

 クイズ奮戦記

 「水神村殺人事件」ならびに本位田鶴代

 70年代のブームについて芦辺拓さんのお考え

 私の5月24日周辺

●横溝正史との出会い

 小学生の頃、私は押し入れに住んでいました。
 2Kのアパートに5人家族、うちひとりは赤ん坊とはいえ、当時としても狭い家でした。その中で、長男の私だけが、ちょっとえこひいきされて、二階の押し入れの上段を、私室として使えるようになっていたのです。
 そこには、蛍光灯と布団、かわいがっていたぬいぐるみのクマなどがあり、その中で、私は空想にふけったり、読書をしたりして過ごしていました。
 ところで、二階へ向かう階段の突き当たり、ちょうど上ったところの薄暗がりには、父親の本棚がありました。名画全集など、比較的凡庸な本が並ぶその中に、なぜか一冊、おどろおどろしいタイトルの背表紙が立っていたのです。

  「悪魔の手毬唄」

 当時の私は、今よりももっと怖がりで、何か怖いことがあるとすぐ熱を出すような虚弱な子どもだったので、どうやら配慮してか、カバーが外してあったのを記憶しています。どこの出版社のものかは分かりませんが。
 ただ、私には、そのタイトルだけで、充分に怖かったのです。
 薄暗がりにぼうっと浮かぶ、「悪魔」という文字におびえながら、いつも階段を上っていました。

 しかし、読書欲の旺盛だった私は、家に読む本がなくなり、ついに、「悪魔」に挑戦しよう、と思ったのでした。1960年代のお話です。
 ページをめくると、山椒魚だの、お庄屋殺しだの、無気味な単語が目に入ってきました。そして、舞台になる沼の描写。
 ひょっとしたら、私はまた、熱を出したかもしれません。それが、「少年少女世界の名作文学」で読んでいる、ホームズやルパン、「ルコック探偵」などと同じミステリだ、という印象はなく、ただひたすら、無気味で怖いものでした。
 それが、私にとって、初めての横溝正史です。

 やがて中学生になる頃、世間はミステリと奇書のブームでした。講談社文庫から、「虚無への供物」「ドグラ・マグラ」「「黒死館殺人事件」が次々に出たのも、この頃です。
 私も、中学校の図書室で「ドグラ・マグラ」を読み(よくそんなものがあったと思いますが)、奇書の魅力にとりつかれていました。
 その延長線上に、再び浮かび上がってきたのが、横溝正史だったのです。
 やはりその頃でも、まだホラーという印象があり、実際、角川文庫の表紙は充分に怖かったのですが、その中で、猫を文字通りかぶったおかっぱ頭の少女が表紙の、「本陣殺人事件」が、目を惹きました。
 で、読んでみたら、これが面白い。特に、カバーにもなっている一柳鈴子には、たいへんな魅力を感じました。
 と同時に、やっと、日本のミステリの面白さ、というのも分かってきたような気がします(まあ、これにはいろいろな要素がからみますが)。
 そうして横溝正史を、でもカバーの上から紙をかけて読んでいるところへ、映画「犬神家の一族」が公開になり、劇場へ駆けつけました。
 それは、若い頃にはありがちな、日本映画への偏見をくつがえすものでした。最近、DVDが出て、当時の色調が再現されましたが、暗くも青くも貧乏くさくもない、洗練された映像と、すばやいテンポ。これですっかり、日本映画にもはまってしまったのです。
 私の横溝正史との出会いは、二回あったわけですが、その体験が、今、こういうサイトを作ったりして、横溝正史をもっともっと広めよう、まだ「生きた」作家にしておこう、という行動に、結びついているのですね。
 それはとても、幸せな出会いだった、と思います。(2002.11.12)

●女子高生のメールから

 このサイトを開いて、いろいろご指摘のメールなどをいただいたのですが、その中に、東京に住むという女子高生の方からのメールがありました。

早見さん、初めまして。
今回、早見さんの横溝正史サイトを学校の課題の為に尋ねて
見た所とてもイイ情報があり、更に色々な事を知りたいと思い
メールしてみました。
ウチの学校では今、国語の課題として推理小説を読みあさり、
その作者、そしてその作品を深く掘り下げてクラスの皆に、
その内容を発表すると言う課題があり、ウチのグループは
とても有名な横溝正史についてやろうと思いました。
色々な所を調べてみても、欲しい情報を見つけるのが中々困難で
苦戦してたので、直接、横溝情報に詳しい人にコンタクトを取り
収集しているので、もしよろしければ、早見さんにも協力して
頂けたら嬉しいのですが。
締切日も迫ってきてて、今大苦戦中なので、以下の質問に早見さんの
知ってる限りの知識を下さい。

1.私が読んでいる「悪魔は来たりて笛を吹く」と言う作品から浮かぶ
作者横溝正史の人物像??
彼は、その本の中の登場人物の誰かに自分を重ね合わせて居るのか??
この作品の一般的な評価。
そしてこの本を書くに至った動機などあれば。どうしてここまでに血縁関係が
ドロドロの話を書いたのか?
彼の家計に何か問題があったのか??それとも時代のせいなのか??

2.彼の生涯において、彼に大きな影響を与えた物や人、現象など。
彼は、なぜ作家になるに至ったか?
彼が薬学の専門学校に行ってた事は彼の人生に何か影響をもたらしたのですか??
彼が行っていた疎開生活はどう影響したのか?

なんかこんなにたくさんの事聞いてすみません。
わかる範囲で答えて頂けたら幸いです。
とにかく、何でもイイので、他にも興味深い情報などあったら
そう言うのも踏まえてお返事下さい。
また色々とわからない事質問すると思いますがよろしくお願いします。

 中には、答えられない質問もありましたし(それは、はっきりとそう言いました。「作者の人物像」は、読んだ人がそれぞれ考えるものですからね)、難しい質問もあったのですが、こと横溝正史では、図書館へ行け、とも言えませんし、これで横溝正史の若いファンが増えれば、と思い、できるだけ丁寧に答えたつもりです。
 その中で、なかなか分かってもらえなかったのが、「家」と「戦争」でした。
 特に東京だからかもしれませんが、この人にとっての「家」は、「親と子の相克」ではあっても、「息子の結婚に叔父が口を出す」といった「家」は、想像に難かったようです。
(今でもけっこう、あるんですけどね)。
 また、「都会では配給の列に一日並んで、卵が一個手に入る」、といった状態も、なかなか分かってもらうのには時間がかかりました。

 何度かのやりとりの後、メールは今、このようになっています。

度々すいません。
ちょっと疑問に思ったことがあります。
前のメールで書いてあった「悪魔は来たりて笛を吹く」についての 事ですが、
早見さんがおしゃった事から考えると、この本が
ヒットし、なおかつ今でも色々な人に読まれて、横溝の小説ランキングの
上位のポジションを収めた理由として、人々に身近な実際に起こった
事件や戦争に関連したような事を題材としてストーリー展開をしているから
なのでしょうか??その時代に生きた人達からしてみれば、そういう戦争や
帝銀事件などは実際に起こった事だし、きっと読者にとってはより現実味のある
話となった事でしょう。そして、私達のようにその事を実際に体験していなくても、
それが本当にあったって知れば、いくらか好奇心を覚え、是非読みたいと思うこと
間違えないでしょう。(実際に自分がこの本を選んだ理由もそうだし。)
そして、何より家族間の事とかは実際に現実の世界でもたくさん起こりえるような
問題だから(その時の時代背景を考えてもそうだし)、たくさんの読者の注目を
集めたのですね。
後、もう一つ思ったのですが、横溝の文章は人をひきつける要素を含んでいるような
気がしてなりません。次の展開が気になってならないような書き方をして、読者を
誘惑したり、語り口調で色々と説明して、まるで読者に語りかけてるみたいだったり。
彼の書く文章には特徴があり、表現のしかたもとても美しいと
思いました。彼の美学とは一体なんだったんでしょうね??
横溝の小説にはまりそうです。

 世の人は私のように暇ではないでしょうし、知らない人の質問に、百科事典を引いて調べる(例えば帝銀事件について)ことには、疑問を抱く人もいらっしゃるでしょう。
 しかし、手間をかければ、(たぶん)ふつうの女子高生の読者にも、ここまで分かってもらえるんですね。
 そして、「土台も調べず好き勝手な感想を「書評」と称して垂れ流すような人(プロも含め)」に対して、この高校生の方の態度は、私には、すがすがしいものに思われるのです。
 なので、私は、質問はいつでもお受けします(忙しいときは返事に時間がかかりますが)。それによって、横溝作品が好きになってもらえれば。また、そこにある、自分の知らない時代に興味を持っていただければ。
 この女子高生の方とのやりとりは、まだ続きそうです。

 追記:その後、女子高生の方からは、「資料が揃って、討論会をやることになりました」、とメールをいただきました。ご成功をお祈りします。

●クイズ奮戦記

 スカイパーフェクトTVのサイトで、横溝正史特集を記念して、「金田一耕助 珍問・難問100ファイル」というクイズが開かれているのを知り、さっそく挑戦してみました。
 賞品は、角川ホラー文庫100冊セットとかで、私にはどうでもよかったのですが、このページには、正解上位ランキングベストテンが載っていて、そこには、盟友・「金田一耕助博物館」の木魚庵さんが、「1位・91点」に輝いているではありませんか。よーし私も、と、やってみたわけです。
 最初にお断わりしておきますが、このクイズは、ひとり一回しか挑戦できないように、なっています。二回以上は、無効です。ですので、用意が必要です。
 クイズを100問こなすのには、まったくの山カンでも何十分かはかかると思います。私は、本に当たったりして調べながらやって、やっているうちにヤケになって、最後はカンで答えましたが、1時間以上かかりました。それぐらいの暇があるときでないと、できないクイズです。
 また、注意が出ますが、FLASH PLAYERとWindows Media Playerの最新版がインストールされている必要もあります。
 それと、たぶん、全くヒントを得ずに全問答えることは無理です。山カンで答えようという人以外は、ヒントとなるものを用意しなければならないと思います(それが何かは、この下に出てきます)。
 これらを用意して、時間のあるときにやる、そういうクイズでした。
 注意! ここから先には、スカイパーフェクトTVのサイトで行なわれている「金田一耕助 珍問・難問100ファイル」を解くためのヒントとなることが一部、書かれています。
 これから挑戦される方は、これを読まないでやったほうが、クイズを楽しめます。

 内容は、いくつかのジャンルに分かれています。「横溝正史」「金田一耕助」など……。
 私もいちおう、こういうサイトをやっているので、横溝正史について、あるいは金田一耕助について、なにがしかの知識は持っていて、すぐに答えることのできるものもありました。しかし、どうやらこのクイズ、調べることを前提としているようで、いくつかの問題には、ヒントが出てきます。何々の作品の第何章参照とか……。
 更には、普通の横溝ファンだったら、このサイトのリンク集をたどったりして調べないと、答えられない問題も出てきます。
 本来なら、まったく自分の知識だけで答えるのが、フェアかもしれません。でも、この際、原典の読み直しや、知識の覚え直しをしよう、と思ったので、ヒントが出ている場合はその本を読み直し、出ていないものは、参考書(横溝正史に関する文献)や、誰々さんのサイトにこういうものがあったはずだ、と調べまくりながら、答えていきました。おかげで、未読の作品をざっと読んだり、新しい知識を得ることができて、とても勉強になりました。そういう意味では、調べながらやるのは、いいことだと思います。
 ちなみに、ヒントの出ている本だけでも、十冊以上は読まないといけませんし、サイトも私が調べたのだけで三つは当たりましたから、ほんと、勉強になりますよ。
 しかし、ああ……。
 このクイズが、スカイパーフェクトTVの宣伝のためのクイズだ、ということを、私はすっかり忘れていたのでした。

 つまりですね、本を読んでいるだけではダメだったんです。
 CSの、最低でも2つのチャンネルで放映される、横溝映像を見ていないと、解けないんですよ。
 しかも、見ていても(前に放映されたときに見たのがありますから)、ビデオをチェックしないと分からないぐらい、難しいのもあるんです。
 そこまで訊くか? みたいな。
 さすがの私も、石坂浩二の映画だけでも、分からないことが出てきて、これはどうなるのかと思っていたら、それ以外の作品からの出題もあって、ついに、調べるのを諦めました。あの辺あたりは、見直すのが面倒で……。
 更に、すべてを周到に用意しても、まだ解けないであろう問題まで用意されている、これはマニアのためのマニアックなクイズなのでした。そこらの宣伝用クイズとは、かなり違います。
 で、本を探しては引き、映像は「金田一耕助の冒険」(これはほぼ丸暗記している)と「犬神家の一族」以外はおぼろげな記憶と山カンに頼り、途中で放り出し、一時間以上奮闘して、結果は、87点でした。
 まあ、ある意味、ずるをしているわけですから、いばれたものではありません。
 また、横溝正史のサイトを作って調べているような、私や木魚庵さんが挑戦するのは、大人げないとも言えましょう。
 しかし、私のような超速読の人間で、本を引くだけでも一時間かかるのですから、これでCSの、あれやあれを見て、となってくれれば、クイズ出題の意味は、充分果たしているでしょうし、一回きりのチャレンジですから、このために、次々に出てくる本を再読して、CSの放送を全録画してまで、100点を目指す人がいたら、私は尊敬します。
 おそらくは、私ほど調べずに答えただろう木魚庵さんで91点の問題、それに、どう挑戦するか、どう取り組むか。いや、取り組むだけでも、立派な横溝ファンだと思うのです。
 私は、自分の87点の出し方を、いばりもしませんが、恥はしません。
 むしろ恥じるべきは、なんとまあ、やっていたら、「悪霊島」の文庫版を持っていないのに気づいたことです。単行本は、段ボールの中。これには参りました。しかもよく覚えてないし……。
 どうぞ皆さん、本や映像をご用意してでも、挑戦してみて下さい。そのことで、あなたの横溝度はもっと深まるでしょう。

 でも、やっぱり、自分が知っている問題が解けたときは、うれしいもんですね。映画「金田一耕助の冒険」は、もう何も考えずに答えられましたから。クイズの快感っていうのは、ほんとは、そういうもんでしょうね、やっぱりね。
 で、木魚庵さん。あなた、まったくの知識だけであんな点数取ったんですか?

●「水神村殺人事件」ならびに本位田鶴代

 2002年4月29日、TBS系で「横溝正史生誕100年記念」と銘打って、「水神村殺人事件」が放映されました。原作は、「車井戸はなぜ軋る」です。しかも、角川文庫「本陣殺人事件」の中の、とクレジットで限定されています。理由は知りません。
 そこまで言うなら、原作通りかというと、全くと言っていいぐらい、違う話、という印象を、私は受けました。
 このドラマについて、単純に「感想」を書くことは簡単です。「横溝正史というよりは、『おなじみの』2時間サスペンスみたいな推理で、金田一耕助が素人名探偵とおんなじ。でも、けっこう横溝趣味が入ってる。二つの家の確執とか、「たたりじゃー」とか。でも古谷一行は自転車を漕ぐのが遅すぎるから、もうそろそろ交替してもいいかな。まあ最近の古谷金田一ものとしてはいいほうだし……」いくらでも、言えます。印象で言えば、少なくとも、まじめに金田一耕助しよう、という気はあったように思いました。原作ファンは嫌うかもしれませんが、これはこれであり、だと思うし……きりがないですね。

 で、問題を、二つに絞ってみました。
 一つは、このサイトのリンク集以外の部分は、ワタクシのワタクシ的思い入れ文章で成り立っておりますから、それで言うと、
「なぜ本位田鶴代が出ないんだぁ〜!!」
 という、魂の叫びであります。
 本位田鶴代と言えば、一柳鈴子、里村典子と並ぶ、横溝正史の三大少女ヒロインであります。おそろしいほど聡明にして病弱、可憐、17歳、しかもこの物語の主人公にして記述者ではありませんか。
 それを活かさない手はない! と私は叫ぶのであります。
 しかし、TVでの鶴代は、二つの家の一方の、実質上の実力者として、坂口良子が演じました。坂口良子、横溝作品とはゆかりの深い役者さんです。好きです。この物語でも、旧家を取り仕切る、いわば「獄門島」の早苗さんのような、風格とりんとしたところをもって、演じてくれました。さすがです。
 でも、それは「原作の」鶴代じゃないんだよぉ(泣)。
 「八つ墓村」の里村典子も、かわいそうな人物で、あれだけ重要な役割なのに、映像化するたびにしょっちゅう省略され、豊川悦史版「八つ墓村」では喜多嶋舞で喜んだら、ほとんど使われず、かわいそうさもひとしおなのですが、鶴代も、負けず劣らず、かわいそうなのであります。
 だいたい、聡明で病弱で可憐な少女(私は「美少女」という言葉は使わないようにしています。日本語にないから)、というのは、ある時代のヒロインに欠かせない要素なのではないでしょうか――と言って、思い出せるのがぼんやりと「風立ちぬ」ぐらいしかないのが情けないのですが、現代では、「ときめきメモリアル」の如月未緒に引き継がれる、ある種のヒロインの典型です。それを、横溝正史が余すところなく描ききったのが、「車井戸はなぜ軋る」なんですね。
 しかも、昔は肺病やみも多く、あるいは蔵の中で静養しながら本を読む少女、なんてのは、リアルさもあったわけです。「ときメモ」の如月さんは、ある種やりすぎ、というかあんな文学少女いねーよ、ともなるわけですが、鶴代は、確かに、いたのです。
 だから、そういう意味で言えば、「水神村殺人事件」の鶴代は、
「なんでああなっちゃったんだよー(泣)」
 なわけではあるのです。
 ここは、不肖ワタクシがいま一度、脚本家に復帰してですね、原作通りの「車井戸はなぜ軋る」を映像化――TVでは無理ですね。遺伝的要素など、TVコードに引っかかりそうですから。
 ならば、単館上映の低予算映画でもいいから、やってみたいので、脚本料を払う条件なら(無料でやるのは、サイトだけでかんべんして)、っていちいちうるさいんだよ俺は、とにかく、その一本を珠玉の横溝映像にする、という人がいれば、ワタクシ、駆けつけるかもしれません。私でよければ、ですけどね。
 それほど、愛おしい少女であります。

 さて、そういう個人的少女者としての「感想」は、あるにはあるとして、私がこのドラマで問題にしたいのは、時代設定なんです。
 これは、今も、@niftyの横溝島で検証途中ですが、このドラマ、いつの話か、分からないんですね。
 ここが、原作原理主義者が怒り、2時間サスペンス慣れした私は「それか……」と呟くところですが、冒頭、作家の大和田伸也が岡山県知事になり、公共事業の見直しを始め、そのためダム建設が中止になったことから、事件は始まります。
 こういうのを入れる2時間サスペンスの癖は、まあ、おくとして、考えてみていただきたいのですが、公共工事の見直しというのが、知事によって行なわれる時代というのはいつでしょう。
 実は、たまたま実家の親父と電話で話したので、その問題について話してみたのですが、少なくとも「高度経済成長」の時代、いや、オイルショック以降でも、そんなことはなかった、というのが親父の言い分でした。私も、そう思います。
 だったらこの話、現代なのか、というと、どう見ても、現代には見えないんですね。で、それが明らかにされていない。
 冒頭で、金田一耕助がやたらと腹を空かせていて、後のほうでも金より干し芋をありがたがる、これは昭和20年代の雰囲気です。
 じゃあ、そうなのか。
 そこで、一つの証拠となるのが、事件が解決して、金田一耕助がもらう報酬の札束です。ビデオで確かめると、聖徳太子の像が札に描いてあります。しかもこれが、どうも千円札らしい。
 聖徳太子の千円札が出回ったのが、昭和25年(「現代風俗史年表」によれば。昭和21年説もあり)。それが伊藤博文に変わるのが、昭和38年です。札束ですから、銀行から下ろした可能性が高く、とすると、紙幣の交換があったとして、その間の話になりそうです。
 もう一つ、重要なことが出てきます。登場人物の二人もが、事件の10年前に、アメリカ留学しています。
 一般市民の海外旅行自由化は、昭和39年に初めて解禁になりました。それも、ドルは500ドルしか持ち出せないという制限付きです。その前というと、何かの目的が認められないと、海外へ行けなかったらしいんですね。
(実はこの辺、詳しいことが分かりませんでした。どなたかのご教示を賜わりたいところです)
 その一つの手段が留学でした。特に、アメリカのフルブライト基金による留学制度は、日本から若い人が海外へ渡る大事な手段でした。
 これが始まったのが、昭和27年。それにいち早く乗れたとして、10年後といえば、昭和37年。それ以降の話ではないか、という推論をしてみたわけです。(仕事の片手間にちょっと調べただけなので、それ以前にも留学の方法があったかもしれませんが)
 こう考えると、事件は、昭和37年から38年に起こった、と考えることができるわけです。この作品にはオート三輪も出てきますが、これもまだ、街中を走っていたし、田舎ならなお、あったでしょう。
 しかし、もしそうなら、昭和38年は黒部川の通称「黒四ダム」が七年がかりで完成した年です。後に石原裕次郎が映画化する「黒部の太陽」の舞台になった、日本人の誇りとも言われた、公共事業の華です。ダム工事は、当時の日本の華だったと思われるのです。
 そんな時代ぴったりに、ダム見直しを図る知事。あり得ません。しかも金田一は欠食児童で焼け跡っぽいし。
 調べてみると、脚本家の石原武龍は50歳。私より九つ年上で、当然、戦後史は頭に入っているはずです。
 それがどうして、こんな整合性のない脚本を、書かねばならないのでしょう。

 原作原理主義者が嫌うような、2時間サスペンス的にもアレンジされたドラマに、何を求めているのか、とお思いかもしれません。
 しかしこのドラマ、捨てがたい真面目さと研究ぶりが見られるのです。顔のない死体、家の確執、旧家の跡取り、アメリカ、いろいろ横溝趣味を入れ込んで、映像もそれなりに美しく撮っています。
 それだけに、せめて時代の一貫性は持たせようよ、ドラマの今っぽさは目をつぶるから、ということなんです。
 もはや、昭和30年代だとしても、ほとんどの視聴者には時代劇に近いでしょう。それならそれで、時代色は出そうよ、ということなんです。
 それは、「悪魔が来りて笛を吹く」ではいち早く、帝銀事件と斜陽族を時事ネタとして採り入れた、そしてあまつさえ、このドラマの推定年代より古い昭和35年には、団地ブームを採り入れた、実は時代にとても敏感だった横溝正史のスピリットを、活かして欲しいからなんです。
 もし、冒頭の時事ネタで押すならば、断固現代の話にして、そこにワンダーな旧家の支配する村、を作ってみる挑戦をしても、いいじゃないですか。山村美紗サスペンスなんかでは、未だ京都の跡取りの確執をやってるんだし。
 そっちのほうが、むしろ、横溝正史に近づけたんじゃないか、と思ったんですね。
 まあ、根本的には、時代もの(もう時代物と言っちゃいましょう)をやるなら、時代は一貫性を持たせようよ、末期「必殺」じゃない、まじめにやる気があるドラマなんだから、ということなんですけどね。
 なお、この事件には、ダム建設に絡んで、名水の水源枯れ、という問題も出てくるのですが、この問題が出てきたのはいつ頃か、私は水利問題に下手に興味があるために、かえって特定できませんでした。ただ、こういうのは、昭和40年代後半から50年代以降の話題と思われ、それがまた話を曖昧にしているのですが、上の事例ほどの検証もできなかったのです。すみません。

 とまあ、それだけ論じる価値を、私は、このドラマに見出してはいますが、たぶん大方は、これでは横溝正史生誕100年としては、満足しないだろうな、というのは、分かってはいるんですけど、敢えて逆らってみました。
 否定するとしても(してませんが)、これくらいの理由を考えてみてからにするのが、横溝への入り口の意味もあるサイトの制作者としての、私のけじめであります。
 特に若い方、原作をまだ知らない方は、以上のようなことを頭の片隅に置いて、原作(角川なら「本陣殺人事件」、春陽なら「華やかな野獣」に入っています)をぜひ、読んでみて下さい。
 読んで損のない、愛すべき中編です。


●70年代のブームについて芦辺拓さんのお考え

 このサイトは、さまざまな方に見ていただき、貴重なご意見をいただいて、日々修正追加を進めております。
 中でも、前からネット上で親しくしていただいている芦辺拓さんは、パーティーで会っても会釈ぐらいしかしないのですが、ネットの上では盟友のつきあいをさせていただいております。
 どうも私が「奇談小説家」を志しているのがお気にいられたようで。私は私で、芦辺さんが描く「市民社会の公正」が気に入っているのです。で、共に奇談を、物語を目指しましょう、と話し合っております。以上、ワタクシゴト。

 それで、ガイドのページに、70年代後半の横溝正史大ブームについて、誤解を訂正する詳しい記事を書いたのですが、芦辺さん、それを読んで下さいました。
 おほめの言葉もいただき、面はゆかったのですが、ここに芦辺さんの検証とお考えをきくことができました。
 文章は、芦辺さんのサイトにある芦辺倶楽部掲示板から転載し、ご了解のもと、注がつけられるところはつけました。
 以下がその文です。

 はやみ。さんの下記のサイトの中でも「初心者のための、横溝正史&金田一耕助ガイド」は、新しい読者のみなさんだけでなく、編集者やライターの方々に読んでほしい企画ですが、とりわけ“横溝ブームって、映画の「犬神家の一族」のせいですよね?”は誤解されがちな点を指摘していて有用です。

 ここで記されている「70年代後半のブーム」についてなのですが、私の感じとしてはこうです。

 ・68年、桃源社、国枝史郎氏の『神州纐纈城』を復刻〜<大ロマンの復活>シリーズへ。
(早見注:桃源社は、不動産会社とは関係のない、出版社。他にも久生十蘭、橘外男など、奇談の作家の作品を次々復刻しましたが、現在は倒産。
 『神州纐纈城』は、その後最近では、講談社大衆文学館という文庫シリーズに収録。現在入手可能なのは、「国枝史郎伝奇全集 巻2」(未知谷)。日本の三大奇書―あとは『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』―と呼ばれた伝奇小説の名作。ただし伝奇らしく、未完です)


 ・69年、講談社、江戸川乱歩全集を刊行。大ヒット〜乱歩ブーム、怪奇幻想作品の復活、小栗虫太郎、久作、十蘭ら“異端の文学”への認識が定着。
(早見注:夢野久作、久生十蘭は三一書房から全集が出て、ますます再認識されました。また、小栗虫太郎を含めたこれらの作家は、現代教養文庫から傑作選も出ています。三一の久生十蘭全集は取り寄せ可能、夢野久作全集はちくま文庫からまた最近出ました。
 講談社が出した江戸川乱歩全集は、当時のサイケデリック・ブームが生んだ寵児、イラストレイター・横尾忠則の装画が、子ども心に怖かったのを記憶しています。それで私は当時、乱歩の一般向けミステリを読んでいなかったのですね。
 乱歩がむしろ、怪奇幻想の作家であることは、読者の方ならご存じでしょう。創作を離れては、本格の普及、日本ミステリ界の振興に活躍した乱歩ですが、作品としては、むしろそっち方面が印象に残ります。私見です。)


 ・乱歩全集の好評を受け、姉妹編的な感じで横溝正史全集刊行(1970〜)→私の推測ではこのときは「意外に好評」という程度?
(早見注:これはまだ、検証できていません。研究を待つ次第。)

 ・71年、角川文庫に『八つ墓村』『悪魔の手毬歌』『獄門島』が入る。どうも版元側はオカルト・ホラーか何かと勘違いしていた気配濃厚。にもかかわらず年少の読者はその本質と魅力を見抜く――新世代による大横溝の"発見"と自然発生的なブームの高まり。
(早見注:芦辺さんが「年少の読者」に注目していることは、貴重です。それこそが、このブームの大きな意義だったろうと思います。)

 ・74年、講談社、新版横溝正史全集を刊行。第一回配本に『仮面舞踏会』を書き下ろし。

 ・75年、雑誌「幻影城」創刊。初期のアンケートで「取り上げてほしい作家」に横溝正史が他を圧して挙がっていたらしい(ブームの定着、この秋、角川文庫の25冊が500万部を発行)
(「幻影城」は、ミステリ研究家の島崎博氏による、本格の牙城・発掘の場として注目されました。当時、すでに忘れられていた香山滋、橘外男、海野十三、水谷凖などの過去の作品を掘り起こし、今は目立たなくなった作家に新作を依頼し、新人賞では、泡坂妻男、連城三紀彦、中島梓、李家豊(田中芳樹)、友成純一など多数を輩出。評論も、権田萬治「日本探偵作家論」、山村正夫「わが懐旧的探偵作家論」など豪華でした。
 増刊として「横溝正史の世界」を発行。)


 ・同年5月、『迷路荘の惨劇』を東京文芸社から刊行、9月、映画「本陣殺人事件」公開。『病院坂の首縊りの家』連載開始。

 ・76年10月、映画「犬神家の一族」公開。

 ――といったところで、このブームがいかなる仕掛けでもなく、読者からのムーヴメントとして盛り上がったことは、心にとめておいていいと思います。

 こういうお話なのですが、桃源社、「幻影城」の存在は、すっかり忘れておりました。たしかに当時、若い私もすっかりこれらに夢中になった覚えがあります。その後、大学時代の放蕩生活で、ほとんどの本は手放してしまったのですが。残念です。
 こういう、芦辺さんのいう「異端の作家」ブームについては、最近、復刻された、都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』(晶文社)に、詳しく載っています。編集者でもあった都筑さんが、解説・監修などを通して、久生十蘭らについて、詳しく語っています。
 その中で、大きくページを割かれているのが、横溝正史です。『獄門島』の正当性、『悪魔の手毬唄』の見立て殺人の検証など……。
 この本は、ミステリファンなら読んでおかなければ、というような本格論の本でもあるのですが、芦辺さんのお言葉と、ふだんのお考えから早見が愚考するのには、物語のロマンを持つ作家の一人として、しかも本格の代表格として、横溝正史を紹介している、とも考えられます。
 芦辺さん、どうもありがとうございます。こういう、別の方面からの検証は、「雑談」に収めるのは失礼かと思いましたが、サイトの構成上、また、論議を戦わすというよりは入門サイト、ということで、ここに掲載しました。
 しかし、これを追求すると、乱歩についても語らないといけなくなるのですねえ。どうしましょうねえ。乱歩も生誕100年ブームでは、映像化もされ(94年のTVスペシャル「乱歩―妖しき女たち」は秀逸な短篇オムニバスでしたが、脚本・構成は、香山滋などにも造詣が深く、自らも今やホラー小説家でもある小中千昭氏でした。映画「RAMPO」については――何も語りたくありません)、大いに盛り上がったのですが、その後は、その全体像は忘れられた感がありまして。
 ワタクシ的には、横溝正史についても、その「新青年」編集長時代を描いたドラマとか、短篇の映像化とか、あって欲しいところなのでありますが……。(2002.5.11)

●私の5月24日周辺

 「主な変更履歴及び横溝的日記」に書きましたが、記念すべき2002年5月24日は、HP整備などに伴う忙しさの余り、今日がその日なのをを忘れていて、朝の掲示板巡回で、「小林文庫」さんが祝辞を書いているのを見つけて、初めて気づいたような次第です。お恥ずかしい。
 トップページに、その日一日限りのお祝いメッセージなどを掲げた後で、。自分のお祝いの言葉を書いていないのにも気づき、皆さんの後ろに、こそっ、と載せておきました。
 考えてみるとこの一ヶ月半、とにかく横溝正史の生誕100年を普及しなければ、と思って大車輪でした。おかげで三誌ほどに生誕100年のことを載せてもらうこともでき、それもミステリ専門誌というよりは、高校生や特にミステリ通でもないふつうの読者が読むような雑誌でしたので、それなりに意味のある行為だったと思います。
 しかし、それより重要なことは、この日は自分自身のミステリでも四苦八苦していたのですが、記念すべき日に、曲がりなりにもミステリ(「Mr.サイレント 仮想世界の優しい奇跡」富士見ミステリー文庫。かなり曲がってますが)を書いていられるのも、横溝正史の恩恵というべきでしょう。

 私が横溝正史を読み始めたのは、このページで芦辺拓さんが書かれたような、またガイドのページにあるような、映画「犬神家の一族」前夜、町場の書店に日本ミステリが積まれている頃でした。
 それまでの私は海外古典を多少読む程度のミステリファンだったのですが、きっかけは、中学三年、学校の図書館で夢野久作の「ドグラ・マグラ」と、市役所の図書館で都筑道夫さんの「黄色い部屋はいかに改装されたか」を読んで、横溝正史を始め、日本には夢野、久生十蘭、小栗虫太郎などの面白い作家がいる、と知ったことからです。
 それと前後してだと思いますが、講談社文庫から「ドグラ・マグラ」「黒死館殺人事件」、そして中井英夫「虚無への供物」が出そろい、大いに衝撃を受けたものでした。
 肝心の横溝は、「本陣殺人事件」を皮切りに、「犬神家の一族」「獄門島」「悪魔の手毬唄」「悪魔が来りて笛を吹く」……と読んでいき、すっかり「はまった」わけです。
 当時の、小説好きの中学・高校生は、こうした当時としては「奇書」に当たるミステリと、光瀬龍、平井和正辺りの濃いSFを読むのが流行でありました。ホラー、というジャンルはありませんでした。その代わりに、「奇妙な味」という言葉が流行り、第一期の「奇想天外」はSFと奇妙な味の専門誌としてこの頃にスタートしています。具体的に言えば、早川の「異色作家短編集」に収められたブラッドベリ、ダール、フィニイ、ボーモント、コリア……といった作家にも「はまり」、特にフィニイとボーモントは、今でも私にとって、重要な作家です。
 その頃には、かなり本気で小説家になりたかったのですが、当時の内輪での流行はSF作家になること(それも第二期の「奇想天外」に載るような)で、ミステリ、しかもジュニアミステリを書くなんて、思いもよりませんでした。
 ジュニアミステリがわれわれガキにも認められるようになったのは、辻真先さんが「仮題・中学殺人事件」をソノラマ文庫で発表してからで、それまでは、ほとんど顧みられていなかった、というのが私の周囲の状況でした。

 24日の夜に、友人から交換本で手に入れた「探偵小説五十年」が届きました。おそるべき偶然、というほどでもありませんが、これも何かの縁として、記憶することにしました。
 各所でお願いしたお祝いメッセージのメールは、3通をいただきました。記念なので、他とは分けて、保存することにしました。

 25日のほうが、サイトに関しては、動きが多かったようです。
 きょうが本当の誕生日だとまだ思っている人も多いようなので、ガイドのページに証拠を挙げておきました。
 私は早朝から、片岡鶴太郎の「本陣殺人事件」を見ていました。映像のページに書くためです。きょうが記念日だとすれば、この選択はどうか、と思いますが(笑)。
 巡回しているインターネット上の掲示板に、軒並み生誕100年のことを書いておいたら、太田忠司さんがご自分の掲示板に熱いメッセージを書かれていました。せっかくなので、掲示板で流れていってしまわないように保存したいと思い、土曜の朝からご迷惑とは思いながら、電話で転載許可を得て、メッセージ集に収録しました。
 そのとき出たのが、有栖川有栖さんの「マレー鉄道の謎」の話題で、古典味あふれる、私たちが知っているような本格だということでした。
 このサイトにメッセージを下さったのが、横溝賞受賞の山田宗樹さんの他には、芦辺拓さんと太田忠司さんとで、おふたりとも、昔気質の古典的ミステリを志向している方だ、というのは、何か感じるものがありました。私も古典派ですので、いつかは……と思ってみたり。
 この日は、愛川晶さんからも、メールをいただきました。この方もまた、古典派というべきかもしれません。
 遊びに来るという友人から、NHK-BSの明日の番組の情報が入り、ただちに掲載、とあわただしかったので、この日に限って更新時刻を載せましたが、ちょっと、はしゃぎ過ぎだったかもしれません。
 夜は、@niftyの横溝島での、記念RT(チャット)に参加しました。正直なところ、インターネット上に活動も散らばり、横溝島の書き込みは減っているのですが、10人を越すメンバーが集まり、みんな書き込みはしなくても、横溝ファンではあり続けているのだなあ、と再度、思った次第です。
 その席で、発売日未定のエッセイ集が、出ていた、という話をきいたのですが、まだ確認できていません。

 26日には、「サスペリア・ミステリー」の新しい号が届いたので、その情報を載せました。生誕100年を解説した(このサイトのことも載っている)号で、「不死蝶」の連載も始まりました。
 送料まで払って注文した「KADOKAWAミステリ」最新号がようやく届いたのですが、とくに特集もなく、山前譲氏の連載も、正直なところ、どうってことないものです。これなら、かけやさんなどのサイトを見ていたほうが勉強になりますので、もう、取り寄せてまで読むのはやめよう、と思いました。
 これから6月には「ダ・ヴィンチ」、「週刊アスキー」と生誕100年の紹介記事が載ります。もう、できることはやったな、という気持ちで、今は、います。
 あとは、なんといっても原典がちゃんと供給されてくれること、早いところ、新しい本も出して欲しいこと、などですが、これは私の仕事ではありません。
 更新のほうも、これからはペースを落として、それより、より横溝正史の衣鉢を継ぐべきことをしよう、と思ったようなわけです。
 つまり、自分の曲がりなりミステリを、どこまで、ミステリにするか、ということですね。
 十代の頃に得た感銘を、正しく活かすことが、本業は小説家である自分が本来、行なうべきことでしょう。
 5月24日周辺は、その節目でした。

 とはいえ、このサイト全体を読んでいただくと分かりますが、横溝正史には、本格的な評論家がいません。映像まで含めて、というと、皆無に等しいでしょう。
 自分がそうなるためには、それこそ国会図書館で資料を発掘するようなことをしなければなりませんが、それはできませんので、本業である小説、雑文、映像紹介ライターとして、ねばり強く、ちょこちょこと紹介をしたり、サイトを更新していったりしようと思います。
 「まだまだ終わりませんからね」、とは映画「金田一耕助の冒険」で古谷一行の金田一耕助が言うセリフですが、横溝正史を、まだまだ終わらせてはならないのです。(2002.05.26)



 
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